2007年度公募プログラム

「声」を考える―教育現場での実践とその意義

活動課題(テーマ)

昨今、哲学的および芸術的な意味を超えて、「身体論」や「身体知」という言葉がいろいろな場面で語られるようになってきている。それらの言葉の呈する複雑さは、教育の場におけるこの新たな知の定義の必要性を突きつけると同時に、座学に限定されない知のあり方が、現在求められていることを物語っている。危機と変革の時代には、全人的な知が必要とされるからである。

自分を知り、他者と交流する際、私たちは書かれた「言語」以外に身体を使う。同時に知を獲得し、理解し、伝える作業はすべて身体を経由している。つまり「身体知」は言語知・社会知の基礎である。またそれは、単に肉体としての身体という意味のみならず、人間をホリスティックにとらえた上での身体であり、当然ながらそこには精神性や感情論も含まれることになる。このような身体をめぐる議論の背景には、われわれの時代がはらむ、ひとつの危機感があることは否めない。つまりこれはテクノロジーの波の中で希薄化する身体存在やコントロール不可能な精神・感情・不安といった諸現象によって生み出されるものであり、それらの危機感は教育現場で切実に意識されているものでもある。

論理的思考力が感性や身体性と手を携えて初めて真の知性が生まれることは、言を俟たない。考えることは、身体に触発され、身体と不可分の全人的な行為以外の何ものでもないからだ。さらに、身体は、フーコー以降の現代思想でも、脳科学や認知科学でも、芸術や臨床心理学の領域でも、大きな注目を集めながら、それぞれが社会構成主義、科学主義、体験主義と異なる枠組みで研究・教育が進められてきているが、相互間の交渉はいまだに乏しい。その意味で、まさにそれぞれの成果を研究のみならず教育の実践を通して統合する試みがなされるべきときがやってきた、と言えるであろう。つまり教育に関わるものが、人間の諸活動は、すべて「身体」を抜きにしては語れないという事実を明確に再認識し、意識的に相互の壁を突き崩して統合的な教育を目指すことこそが、必要となる。

同時にそれらの知を伝える新たな授業の形態を模索することも重要である。慶應義塾においても、各領域でフィールドワークを取り入れた少人数授業やインターンシップのような体験型実務教育が徐々に広がりつつあり、大きな成果を挙げている。これらの新しい教育の試みを推進すると同時に、さまざまな効果的な授業形態の可能性を探ってゆくことが、大学教育の未来のために不可欠であろう。

教養研究センターでは、そのような見地のもとに、21世紀の中で私たちが再建もしくは発見すべき「身体」とは何であり、それをひとつの「知」とした上で次世代に伝えていくにはどのようにしたらよいのかを教職一体となって考える場として、2005年5月に基盤研究「身体知プロジェクト」を立ち上げた。具体的には以下の手順で身体知教育の理論化を試み、広く外部に発信することをその目的として活動を展開している。

  • 1) さまざまな「身体知」のあり方と理論の過去と現在を見据える
  • 2) 「身体知」教育の実践の場を視察し、意見交換を行う
  • 3) 実験授業を通じて「身体知」教育の意義と方法を探る
  • 4) 実践の成果を踏まえて新たな「身体知」および「身体知教育」を理論化する

これらの活動の一貫から2006年度後期には、実験授業「体をひらく、心をひらく」と題する身体を用いたワークショップ形式の実験授業を7回行った。 同時に教養研究センターが2005年度から2年にわたって開催してきた「開かれゆくキャンパス―一貫校の冒険 朗読会」では、「朗読」を通じて、体得教育の意味を協働で考える場を提供してきた。具体的には2005年度は幼稚舎、普通部、女子高、志木校、大学生をつなぐ朗読会が『平家物語』を題材に行われ、2006年度は幼稚舎、中等部、志木校、大学生、卒業生、教員にまで参加の層を広げ、福澤諭吉の書簡を読んだのである。

2007年度は、これらの研究と実践の取り組みをさらに統合させ、教育の現場で最も重要と思われる「発信する主体」として、今ここにいる自分のあり方を、「声」を切り口に、研究と実践を通して考察することを課題とする。教養研究センターとしては一貫校と大学教員を主体とした研究会を立ち上げ、そこで論議された内容を常に実践の場で確かめながら、成果をさまざまな授業に応用し、多くの学生に還元することを目標とする。

担当

教養研究センター所長 横山 千晶

横山 千晶もともと不可分な身体性、感性、そして論理的思考をどうやって教育の場で意識的につなぎ合わせていくのかが、このプロジェクトの目標です。今後ワークショップや実験授業などを開催していきますので、興味のある教職員・学生の皆さんの参加をお待ちしています。

活動内容

教育の現場における「声」は、決して意味をなす音声手段だけに終始するものではない。それは音を発することのない身体存在そのものを基盤にしており、「場」を介して受け取られるものでもある。同時に非視覚的な感覚としての「声」は、言語以外の「音」や「メロディ」を通してコミュニケーションを図る非常に原初的な現象でもある。われわれはそれらすべてを駆使して自己表現を行っている。
本年度は、そのような思考と感性をめぐる自己表現の基本的特性を勘案し、授業実践上の諸問題も考慮して、次の3点を身体知の基本軸として設定した上で、「声」の位置を確認したい。

第1の軸:言語―非言語

人間は言語的動物であり、言語を抜きにした知性や他者との交流は不可能である。しかしながら、同時に、人間は、思考においても、コミュニケーションにおいても、自らが思っている以上に感覚的・非言語的であり、このような言語性と非言語性の並存と対立の矛盾への洞察が、知性を考える上で不可欠である。

第2の軸:視覚―非視覚

人間は視覚が他の感覚の優位に立つ動物である。パワーポイントなどのテクノロジーの使用により、授業においてもヴィジュアル化が推進され、人間の視覚優位性を活用した教育方法が活発に展開されている。しかし、同時に、人間の原始的な根幹部分は非視覚的――聴覚、触覚、嗅覚など――であり、テクノロジーの発達に刺激された視覚情報の増大は、かえって人間の感性と思考のバランスを崩す危険性も有している。よって、言語の場合と同様、視覚と非視覚の並存と対立の矛盾への洞察が教育上大切になる。

第3の軸:場

第1と第2の軸は、自然科学そして精神分析の成果に支持された理念的区分と言うことができるが、第3の軸はより実践的なものである。大人数での共同体的実践を考えるか、少人数での親密さと双方向性を重視するか――もちろん、双方が大切だが、これを、人と人との距離の問題、コミュニケーションの問題などを含めた実存としての「場」の軸としてとらえたい。

これらの3つの軸を基点として、教養研究センターでは身体知をめぐる研究と実践を展開するが、効果測定や身体知カリキュラム研究全体の中での意義付けにかかわる研究、および活動ポートフォリオのアーカイヴ化等の研究実践にかかわる部分に関しては、別途、他の資金で賄う努力をし、「未来先導基金」事業においては、授業実践に直接かかわる経費部分を申請し、学生への成果の還元を目標とする。理論と仮定の実践に関しては、既存のクラスを実践の場とする場合と、新しく実験授業を立ち上げる場合の二つに分けて行う。いずれの場合も、プロジェクトにかかわる全メンバーとの密接な意見交換のもとで行われるものであり、成果をほかの授業でも応用することを目指す。

以上の見解に基づき、本年度行う実践は、次の2点である。

  • 1)新しい文学教育・言語教育―「朗読」と「ドラマ」
  • 2)声と身体と歴史文化の接点を探る教育実践―大学教養教育における音楽実践

以下、それぞれについて具体的な内容を紹介する。

1)新しい文学教育・言語教育―「朗読」と「ドラマ」

座学で主として作家や作品の背景についての講義から成る従来の文学の授業から離れて、身体を用いた体験・参加型の文学授業を実施することで、大教室の授業や従来の言語教育で足りないところを補うとともに、時代にふさわしい文学教育・言語教育の形を探る。上記の第1の軸、言語的アプローチと非言語的アプローチを交流させて、「語力」と身体性・感性の相互的陶冶を目指す。ここでは「朗読」、および「演ずること」を通して新たな文字と言語へのアプローチを図るのみならず、将来的には、オリジナルなドラマやラジオ物語の創作をも目指す文学系授業を視野に入れていく。こうして従来の言語中心の文学理解から、身体を通した新しい文学理解へと導くだけではなく、文学の構築過程に自らが参加するところまで踏み込んでいくことで、まったく新しい教育の形態を作り上げていく。具体的にはプロジェクト・メンバーとの意見交換や過去の「群読会」での成果と教育課程の積み上げを参照しながら、既存の授業の改革に臨んでいく。成果はメンバーそれぞれが持ち帰り、一貫校や大学での教育に反映させることで、さらなる研究対象を広げていく。

本年度企画しているものは以下の2つの授業である

1)‐1 新しい文学教育

大教室で行われている「文学」の講義の履修者(全学部共通科目 「文学―物語・自己・歴史」法学部 武藤浩史担当)を対象として、夏休みに朗読と身体ワークショップの講師を招いた集中的な実験授業を開催する。ここでは「朗読」と身体に対する気づきのワークショップを経て、文字としての文学の創作過程に自らが参画していくことまでを目標とする。この試みは、通常学期の大教室授業に足りないところを補い、「マスプロ授業」の改革のための実践でもある。本年度は、前期の授業が終了した直後の8月第1週にワークショップを開催する。対象者は学生と、プロジェクト・メンバーである。成果はレポートとして発表する以外に、後期の授業での理解度と総合的な効果を分析し、新しい文学教育を提示する出版物として2年後に刊行する予定である。

1)‐2 ドラマを通した言語教育

文字によるテクストを実際に声と身体を使ってのディクション、あるいはコミュニケーションに置き換えることは、頭で理解した内容を身体で表現するという一連の作業である。コミュニケーションとは単なる「言葉」ではない全身活動である以上、身体は語学のクラスで常に意識されるべき存在となる。この実践では外国語で書かれたものを身体を使いつつ、理解し、理解したものを再び自分の身体を使って他人に伝え、そのようにして獲得し共有したことを再びロゴス化するという一連の訓練を、新たな知の領域として学生たちに周知させる試みとして、「ドラマ」を使う。本年度は外国語教育研究センター設置 英語「ドラマクラス」(全学部共通科目 法学部 横山千晶担当)をその実践の場として、新たな言語教育を模索する地場としたい。この授業はすべてワークショップの形式で行われるものであり、クラス内でのグループワークそのものがすでにコミュニケーション構築の場である。

またクラスの中で作り上げられたものに関しては、その成果を2007年12月に英語のドラマ公演として日吉キャンパス来往舎にて一般公開する。つまり、上記の第3の軸、「場」で示されるように観客とのコミュニケーションを図ることで、自分が理解したことを同じく観客に理解してもらうという課題がここでは課されることになる。結果として、外国語のみならず広い意味での声と身体を使ったプレゼンテーション能力を学生個人個人に発揮してもらうことになろう。そののちに今度はその経験を言語化してレポートにすることで、ふたつの成果物を残す予定である。

2)声と身体と歴史文化の接点を探る教育実践―大学教養教育における音楽実践

声と楽器に実践を取り入れた授業カリキュラムを実施する。この授業実践は、声を通じて、学生に共同実践の体験を行わせ、歴史・文化・言語の総合的な学習の機会とすることを目的とする。具体的には合唱クラスとオーケストラ・クラスの2クラスにおいて、それぞれ歴史的音楽作品の演奏実践を行い、そのための声や身体の学びを進める。最終的には1月に2クラス合同の公開演奏会を学内・地域に開かれたかたちで開催する。

本事業の実践は、日吉キャンパスで展開される総合教育科目「音楽」(商学部・経済学部開設 商学部 佐藤望担当)の枠内で行う。総合教育科目「音楽」における身体知的教育活動は、2000年よりその試みを開始し、年々教育効果を図りながら、新しい大学教養教育におけるメソッドの開発を進めてきた。その効果は、第一義的には、学生にとって協働の喜び得る体験の機会となるとともに、自身の声を通じて歴史文化の深みに直接的に触れるという点にある。同活動は、身体知的実践の成果を学内と地域に披露していた。こうした緊張感を与えられる場面の存在により、学生にとっても得難い感動的体験を与えてきている点は、1)-2のドラマクラスと共通する「場」の問題とかかわってくる。「未来先導基金」として採択されることにより、イベントの公的形態が整えられ、この効果がさらに増進されるものと考える。

活動における効果

教育の現場では迅速なIT化が声高に叫ばれ、日常はますますヴァーチャル化していく。その中で身体の意味を考えることは必須である。知の継承の基本とされる言語が認知レベルで身体を通すことにより、どのように生きたものとなっていくのかは、初等教育から、高等教育まで、すべての教育の過程で見据えていくべき課題であり、教育に関わるものが常時、意識し続けなくてはならないテーマである。この基本に立ち返ることは、確かに時間がかかり、また担当者の負担は甚大なものである。しかし、今ここでの地道な試みは、教育の足場をしっかりと固める第一歩となろう。その意味で、この事業は、身体を通した教育の意義と実践的な態度を、若い教員や教職についたばかりの人々に理解してもらうFDの場ともなる。

同時に教養教育の枠内で、身体を通して自己と向き合い、自分の身体を媒体として文学・文化・および歴史をとらえなおすことは、国内では先進的な試みであることも特筆しておきたい。実践した結果は必ずや国内・国外の教育現場に還元可能なものとなるであろう。
本申請の事業では、いくつかのモデルクラスを対象としながらも、その試みにそれぞれの身体知教育を展開しているプロジェクト・メンバーがかかわることで、他の身体知的教育実践と理念との協働体制をとっていく。(たとえば、本年度志木高等学校で展開されている能楽師とのコラボレーションによる、国語音声教育など。)この形態によって、結果をより客観的に見据えることが可能となり、成果をより広く、より効果的に応用していく道筋が開けると期待できる。つまり教育における協働の現場を提供するよすがとなることが期待されるのである。
最後に教養研究センターでの身体知を中心とした試みは、塾ホームページや広報誌『塾』などで紹介されることにより、慶應義塾の教育活動の先進性を社会的にアピールする役割も果たしていることも付言しておきたい。

未来先導基金の取り組みにご賛同していただける方はこちらをご覧ください。

ご賛同いただける方はこちら

ページの先頭に戻る