2007年度公募プログラム

「声」を考える―教育現場での実践とその意義

活動課題(テーマ)

教養研究センターでは、21世紀の中で私たちが再建もしくは発見すべき「身体」とは何であり、それをひとつの「知」とした上で次世代に伝えていくにはどのようにしたらよいのかを教職一体となって考える場として、2005年5月に基盤研究「身体知プロジェクト」を立ち上げた。具体的には以下の手順で身体知教育の理論化を試み、広く外部に発信することをその目的として活動を展開している。

  • 1) さまざまな「身体知」のあり方と理論の過去と現在を見据える
  • 2) 「身体知」教育の実践の場を視察し、意見交換を行う
  • 3) 実験授業を通じて「身体知」教育の意義と方法を探る
  • 4) 実践の成果を踏まえて新たな「身体知」および「身体知教育」を理論化する

2007年度は、これらの研究と実践の取り組みをさらに統合させ、教育の現場で最も重要と思われる「発信する主体」として、今ここにいる自分のあり方を、「声」を切り口に、研究と実践を通して考察することを課題とする。教養研究センターとしては一貫校と大学教員を主体とした研究会を立ち上げ、そこで論議された内容を常に実践の場で確かめながら、成果をさまざまな授業に応用し、多くの学生に還元することを目標とする。

担当

国際センター事務長  加藤 好郎

実施状況

教育現場での「声」を考えるとは、発信されたものを受け止めたあと、発信する主体としての自己を「声」という身体性を切り口に考えることである。今回はその視点から以下の3つのプロジェクトを展開し、成果を論文・公演の形式で発表した。

1.新しい文学教育

大教室で行われている「文学」の講義の履修者(全学部共通科目 「文学―物語・自己・歴史」法学部 武藤浩史担当)を対象として、夏休みに朗読と身体ワークショップの講師を招いた集中的な実験授業を開催した。ここでは「朗読」と身体に対する気づきのワークショップを経て、文字としての文学の創作過程に自らが参画していくことまでを目指した。この試みは、通常学期の大教室授業で足りないところを補い、「マスプロ授業」の改革のための実践である。
具体的には、前期の授業が終了した直後の8月6日から11日まで、「文学」の履修者を中心に参加を呼びかけ、1日2コマ(1コマ90分)のワークショップを開催した。題材にはD・H・ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』(筑摩書房)を使用した。現代舞踊家や朗読家、講談師など一流の講師を招いて行われたこのワークショップでは、まず徹底的な読書体験のあとに、身体を通してあらたに解釈されたことを、再び文字化することを目指した。成果物は論文集としてまとめて参加者に配られたほか、授業の成果については、論文として『教養論叢』第128号(2008年2月28日発刊)に掲載された。

2.ドラマを通した語学教育

この実践では書かれたものを身体を使いつつ理解し、理解したものを再び自分の身体を使って他人に伝え、そこで獲得し共有したことを再びロゴス化してみるという一連の訓練を行う場として「ドラマ」を使った。本年度は外国語教育研究センター設置、英語「ドラマクラス」(全学部共通科目 法学部 横山千晶担当)をその実践の場として、新たな語学教育を模索する地場とした。授業はすべてワークショップの形式で行われ、クラス内でのグループワークそのものをコミュニケーション構築の場とした。またその成果を2007年12月13日、14日に英語のドラマ公演として日吉キャンパス来往舎にて一般公開した。ここでは観客とのコミュニケーションを図ることで、自分が理解したことを同じく観客に理解してもらうという課題が課されることになった。

3.声と身体と歴史文化の接点を探る教育実践―大学教養教育における音楽実践

この授業実践は、声を通じて、学生に共同実践の体験を行わせ、歴史・文化・言語の総合的な学習の機会とすることを目的とし、合唱クラスとオーケストラ・クラスの2クラス(総合教育科目「音楽」[商学部・経済学部開設 商学部 佐藤望ほか担当])の枠内で行った。それぞれ歴史的音楽作品の演奏実践を行い、そのための声や身体の学びを進めた。最終的には2008年1月9日に2クラス合同の公開演奏会を学内・地域に開かれたかたちで披露した。

成果・目標達成度

まず「新しい文学教育」の試みでは、「マスプロ授業」の改革のための実践として、大きな成果を挙げた。今回の参加者は、「文学」の授業履修者のみならず、通信教育過程の学生、同じ問題意識を共有する教員や出版関係者、および関わった講師陣たちも含んでおり、多彩な参加者の間で経験を共有し、意見交換ができたことも成果の一端を担っている。
同時に夏休みに集中して行われた授業形態そのものが、1年を通して学ぶという新たな学びの「場」と「時間」の可能性を示唆した。授業評価でも学生の満足度と期待を見て取れた。

「ドラマを通した語学教育」で目指したことは、英語という文字によるテクストを声と身体を使ってのディクションに置き換え、頭で理解した内容を身体で表現するという一連の作業である。また、公演での観客との出会いは、その場で直面する新たなコミュニケーションの場を提供する。自分が理解したことを観客に理解してもらうという課題を解決していくために、公演のみならず、視覚的な効果を狙ったポスターや作品の解釈に根ざしたプログラム(言語化されたもの)の作成も実践の過程となった。 結果として、広い意味での文字、声と身体を使ったプレゼンテーション能力を学生が発揮できた。授業評価からは、学生が自分の新たな表現能力に気がついた様子が見て取れる。また担当代表者のよるドラマを使った語学教育の可能性に関しては、「読売新聞」2008年3月12日号でも取り上げられた。

声と楽器に実践を取り入れた授業カリキュラムの新たな効果は第一義的には、この実践が学生にとって協働の喜びを得る体験の機会となるとともに、自身の声を通じて歴史文化の深みに直接的に接触するという点である。実践を通しながら、歴史を語ることにより、音楽の文化的側面が参加者の身にしみこんでいく。
また身体知的実践の成果を学内と地域に披露することで、緊張感を与えられる場面の発現により、学生にとっても得難い感動的体験を与えた点は、上記のドラマクラスと共通する点であるし、一流の音楽家たちとのコラボレーションは、「新しい文学教育」の実践とも共通する外部の専門化との協力の場を教育現場に導入することとなった。これらの試みについては随時教養研究センターのニューズレターでも取り上げられた。

今後の展望

教育現場のヴァーチャル化の是非を問う前に、希薄化する身体の意味を考えることは必須である。知の継承の基本とされる言語を認知レベルでの身体性に還元することの意義は、初等教育から、高等教育まで、すべての教育の過程で見据えていくべき課題であり、教育に関わるものが常時意識し続けなくてはならないテーマである。

今回の試みは、1年で完結するものではなく、引き続き実践し、その効果をさまざまな理論とつき合わせながら検証していく必要がある。また教養教育の枠内で、身体を通して自己と向き合い、自分の身体を媒体として文学・文化・および歴史教育を捉えなおすことは、国内はもとより海外においても先進的な試みであることからも、成果を広く公開しその意義を発信することで、意見交換を繰り返しつつ、ほかの教育現場でも応用可能なものとしていきたい。いわば慶應モデルの構築と提言である。
2008年度の未来先導基金採択事業では、一貫教育を見据えた身体知教育を新たに加えた上で、上記のモデル構築に取り組み、2年間の試みの成果を書籍として出版することを目標としている。

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