2008年度公募プログラム

「声」を考える ―
一貫教育から高等教育における実践と新しい教育モデルの提示

活動課題(テーマ)

本活動は2007年度の未来先導基金の公募に採択された「『声』を考える」プロジェクトを引き継いで展開されるものである。現在2007年度のプロジェクトは、以下の項目で言及するとおり、さまざまな成果を挙げつつある。2008年度は、これらのプロジェクトの成果を反映しつつ、引き続き論理的思考力の基礎となる感性や身体性をどのように既存の座学中心の教育現場に取り入れ、一貫教育から高等教育にまでいたるカリキュラム・モデルを提供することができるのか、その可能性を「声」を中心に考え、実践し、最終的に新たな教育モデルを提示することを目標とする。また、2007年度のプログラム実施の成果を踏まえて、本年度はさらに志木高等学校の参加により、一貫教育の中での身体知導入のあり方を考えていく。

担当

教養研究センター所長 横山 千晶

横山 千晶2008年度の「声プロジェクト」は、一貫校を含め義塾の縦と横のつながりを強化しつつ、教育現場における身体のあり方を模索していきます。
昨年度の成果で得た知見をさらに深め、いくつかのカリキュラム・モデルを提示することが今年の目標です。昨年同様、実験授業や成果の公開を行います。多くの教職員・学生の方々の参加をお待ちしています。

主な活動メンバー

教養研究センター所長(法学部教授) 横山千晶
教養研究センター所員(法学部教授) 武藤浩史
志木高等学校教諭 速水淳子
教養研究センター副所長(商学部教授) 佐藤 望
教養研究センター副所長(理工学部教授) 萩原眞一
教養研究センター所員(理工学部教授) 熊倉敬聡

事務担当部門

教養研究センター

実施状況

今回は以下の3 つのプロジェクトを中心に活動を展開した。いずれも「からだ」を通じての教育活動であり、成果を上げることができた。

1)「能」と「声」の授業

志木高等学校に学ぶ二年生国語表現2 クラスにおいて実施した。23 名のクラスである。一学期は現代の詩や小説を中心に朗読した。その成果は、夏の学校行事である「志木演説会」に江戸川乱歩賞作家の高野和明さんが来られた際、舞台上で作家ご本人の前で高野さんの「13 階段」その他の小説をこのクラスの生徒たちが朗読した際に発揮された。
また夏休み前後の日程で、昨年同様、観世流能楽師清水義也先生においでいただき能の授業を行った。今年は牛若丸と弁慶の出会いの名場面、「橋弁慶」を謡った。10 月には宮城県の登米能舞台で「橋弁慶」を発表。今年速水は学年担当が違い立ち会えなかったが、生徒たちだけで見事に能舞台をやり遂げた。感想はアンケート欄に載せる。
10 月以降は同じく義経をテーマにした「平家物語」の「宇治川の先陣」の場面を群読。古典の響きを味わった。

2)声と身体と歴史文化の接点を探る教育の実験―大学教養教育における歴史と文学

夏休みの1 週間(2008 年 8 月7 日から13 日まで。1日90分×2コマ)を利用して、通学課程と通信教育課程に学ぶ学生、およそ28 名を対象に、身体を通した文学解釈と、その解釈に基づく創作活動を行った。今回はコーディネーター以外に3 人の専任教師、および放送大学の臨床心理学者による教員チームに、演出家、俳優、作曲家などの芸術家たちが講師陣に加わり、授業に臨んだ。特に音楽の部分では次にあげる「大学教養教育における音楽実践」のコーディネーターにも協力してもらい、連携を図った。このように、1 冊の文学作品を、演劇ワークショップ、朗読、作曲、アーチェリー体験など、からだと想像力を十分に駆使した活動の基に読み解き、座学では味わえない「体得」を経て、参加者はそれぞれの作品解釈に基づいて、演劇や演説、作詞や作曲を行った。最終日には講師を招いて創作発表会を行った。アンケート調査も行っており、非常に高い評価を参加者から得ることができた。

3)声と身体と歴史文化の接点を探る教育実践―大学教養教育における音楽実践

声と楽器に実践を取り入れた授業カリキュラムの実践を行った。音楽を通じ歴史・文化・言語の総合的な学習の機会とすることを目標とし、総合教育科目「音楽」の2 クラスの枠を利用して、春・秋学期を通じて演奏訓練と歴史・文化の学習を声と身体の学びを通して進めていった。慶應義塾創立150 年を飾るにふさわしいバッハの祝祭カンタータ 214 番 《太鼓よとどろけ、ラッパよ鳴り響け》を中心としたプログラムの成果発表演奏会を、2009 年1月7 日に協生館藤原洋記念ホールにて開催した。学内外から定員500 名のホールを満席にする人が集まり100 名以上が入りきれなくなるほどの盛況であった。

成果・目標達成度

最も重要な点は、「からだ」を通した体得を一貫校と大学とが連携しつつそれぞれのカリキュラムの中で実践したことである。普段は教育の中であまり省みられない「身体性」に注目して、学生の知性を「開いた」ことに成果がある。
まず「能」と「声」の授業においての一番の成果は、やはり生徒たちの声が格段に開かれたことが確信できた。能舞台後に群読した「平家物語」宇治川の先陣には武将の名乗りの場面がある。この名乗りを校庭に出で一人一人やってもらった。実に迫力ある声が出ていた。すべての生徒の喉が十分に開いたことを確認できた。これは夏の能の授業の成果であると考える。「声」が開くということはそのまま生徒のからだが開くことにも通ずる。開かれたからだによる吸収力と理解力の相関関係もこの授業を通じてはっきりと確認することができた。
次に「大学教養教育における歴史と文学」のプロジェクトでは、座学に偏りがちな知の伝達を敢えて時間をとって身体を通して行うというひとつのモデルの教育的な可能性を確信できた。この新しい文学の実験授業は未来先導基金の採択事業として2007 年度から開始したものであるが、今回は去年の知見に基づき新たな方法を取り入れることにより、身体知と言語知の関連性をより明確にすることができた。この試みをさらに来年度に新しい素材を使ってつなげ、やがてカリキュラム化を図る確実な展望が見えてきたのみならず、事例報告として、学会で口頭発表を行ったり、論文として発表することで、大学内外からも高い評価を得ることができた。
文学の実験授業プロジェクトでも実感できたことであるが、慶應義塾に集う様々な学生をつなぎ合わせることは、教育の成果においても重要な意味を持つ。音楽のプロジェクトでも同じことが言える。今回のプロジェクトでは彼らがともに学びあい、それぞれの楽器やパートを担いあい、よりできるものが初心者に指導しながら、半教半学を実践する授業を展開した。17~18 世紀のドイツ音楽は、学生にとって非常に縁遠いものであったが、歴史文化に育まれた音を自らの体で再現する、という地道な作業を通じて、人間の精神文化の奥深さと、異文化を、身体を通じて理解する学びが展開できた。学生の反応も一様に、ひとつのものを協働して作り上げた達成感を喜ぶものであった。また、今回の演奏会は横浜市の「クラシック・ヨコハマ」の一環としても認定され、ドイツ大使館の後援も受けて開催された。この意味で、大学と地域との連携のひとつのモデルを提示することもできたと考える。

今後の展望

能の授業を続け、日本語の音を十全に響かせることのできる声を獲得させたい。それと同時に、一人一人が自分の声と出会うことを目標に授業を展開していきたい。そのためにはもっと深く作品を深く読み込む必要がある。今後は、声を表現として出していく段階を追求していきたい。同時に文学の実験授業ではさらにほかの作品やほかの授業での応用も考え、モデルを構築しカリキュラム化を図りたい。文学を身体を通して読み解くという教育や、音楽実践を取り入れた大学教養授業は、全国でも世界でも先進的な取り組みである。これを義塾において授業として定着させることは、大きな意義がある。そのメソードをさらに広く公表する活動を展開したい。音楽の授業では今回、プロの演奏家をソリストとして迎えて音楽を作り上げたが、楽器演奏や歌唱が必ずしも十分にできない学生に対しても、プロの演奏家の協力を得て、歴史や身体の意義を学び取れる新しいプログラムも今後発展していきたい。文学の実験授業でもプロが教育に関わることでまた新たな教育の視座が提供された。今後も専門家とのコラボレーションを教育の場に生かす方法を模索する必要があろう。
そして最も重要な今後の目標は、これらの試みを総括して、初等教育から高等教育までにわたる一貫した教育モデルを提示することであろう。

参加者の声

公募プログラム

志木高等学校2 年・男性(「能」と「声」の授業におけるアンケート)

入場する前まで不安と緊張を隠しきれない23 人だったが、「一発やってやるか」と勢いに乗り、そのまま乗り切ったという様子だっただろうか。謡い終わっても興奮から覚めやらず、皆からも笑顔が出ていた。結論を言えば大成功だったと思う。
直前になって謡いの内容が思い出せない、そんなこともあったが、あれだけ練習しただけあってか「長刀やがてー」と大声で謡いだせば口が覚えていたのか自然とすらすらと、ほぼ無意識にセリフが出てきた。


志木高等学校2 年・男性(「能」と「声」の授業におけるアンケート)

私は少しの心の揺らぎを静め、心の高ぶりを静めた。 「よろしくお願いします」。私は一歩踏み出した。目の前に大勢の人、人、人。私の心は、高ぶり緊張しているはずなのに、何か心が躍った。 そんな心の揺らぎも正座をしたらすべて静かになった。水面。
水面に投げ込んだ小石で出来た波紋がはかなく消えていくように。「なぎなたやがてーとりなおーし…」始まった。 と、次の瞬間「肝をぞ消したりーけるううう」。終わっていた。


大学生(「声と身体と歴史文化の接点を探る教育の実験―大学教養教育における歴史と文学」におけるアンケート)

実験授業のプログラムの中で、多くの体験を得ることができたと思いますが、“連帯”というもの、人と人とのつながりの中で一つのものを目指して創造していくというプロセスを強く感じることができました。普段は芸術的な創作を、質の高低など考えてしまっていますが、こうした場の中を通過すると、「質」ではなく、発表を皆にぶつけることができる瞬間に持っていける強さなのだという風に強く感じました。もう一度、「ものをつくる」ということの根源を見つめ直さなければならないという思いが強くなりましたし、今後の芸術を見る目を変えていく必要を感じます。身体は生活の根源にあるものであり、芸術を考える上でも、一人の人間の根底にあるものとして、同時に根底にあるものだと思います。今回、その思いをさらに新たにすると同時に、人にとって身体とは何かということを、また新たに考えなければならないと感じています。感じることと学ぶことと生きることのあいだにあるものを探ることは難しいことですが、それでもこうして磨耗した感性を磨きなおせれば、一生のテーマになるのかな、と思っています。


法学部法律学科 K.K.(「声と身体と歴史文化の接点を探る教育実践―大学教養教育における音楽実践」におけるアンケート)

まず、一番大きな点として、この「音楽」の授業では一年間を通してバロック音楽に触れ、しかもそれをオーケストラと共に演奏することができた。これは、普通はなかなかできないことで、とても貴重な経験である。私自身、現在も音楽系のサークルに属しているが、扱っている曲のジャンルもまるで違うこともあり、バロックを演奏することはまずない。なので、今後もあるか分からない、本当に貴重な経験をすることができ、今後の活動にも大きな影響があることだろう。
他にも「天才」として名高い武満の音楽に触れたり、あるいは音の音符の表記、4/4がCと表記される理由、また、様々な音楽用語を学ぶことができ、実に有意義であった。
そしてもちろん、単純に「歌う」ことの楽しさを再確認できたことも良かった。しかもこのような大人数での混声を、ましてや大学の授業内で行うことができ、本当に良かったと思う。
ただ一つ、もう少し必要に感じたのは、発声面の指導である。良い発声を身につければ歌うのも楽になるし、なにより全体の質も上がり、それによって歌うことが一層楽しくなる。なので、生意気で恐縮だが、発声面の強化もした方が良いと感じた。
最後になりましたが、一年間の貴重な経験をありがとうございました。

未来先導基金の取り組みにご賛同していただける方はこちらをご覧ください。

ご賛同いただける方はこちら

ページの先頭に戻る