2008年度公募プログラム

「声」を考える ―
一貫教育から高等教育における実践と新しい教育モデルの提示

活動課題(テーマ)

本活動は2007年度の未来先導基金の公募に採択された「『声』を考える」プロジェクトを引き継いで展開されるものである。現在2007年度のプロジェクトは、以下の項目で言及するとおり、さまざまな成果を挙げつつある。2008年度は、これらのプロジェクトの成果を反映しつつ、引き続き論理的思考力の基礎となる感性や身体性をどのように既存の座学中心の教育現場に取り入れ、一貫教育から高等教育にまでいたるカリキュラム・モデルを提供することができるのか、その可能性を「声」を中心に考え、実践し、最終的に新たな教育モデルを提示することを目標とする。また、2007年度のプログラム実施の成果を踏まえて、本年度はさらに志木高等学校の参加により、一貫教育の中での身体知導入のあり方を考えていく。

担当

教養研究センター所長 横山 千晶

横山 千晶2008年度の「声プロジェクト」は、一貫校を含め義塾の縦と横のつながりを強化しつつ、教育現場における身体のあり方を模索していきます。
昨年度の成果で得た知見をさらに深め、いくつかのカリキュラム・モデルを提示することが今年の目標です。昨年同様、実験授業や成果の公開を行います。多くの教職員・学生の方々の参加をお待ちしています。

活動内容

本年度は以下の3つの活動を実施する。

1)「能」と「声」の授業

志木高等学校では12年間、古典朗読を中心とした「声」の授業を実践してきた。以下、1998年以降、志木高等学校で行った声の授業を紹介する。

1998年 『265人による平家物語群読 坂落』志木演説会にて発表
2000年12月 『三田世紀送迎会 平家物語群読 木曾最後』
2004年1月  アートセンター主催『生命を寿ぐ 高校生の声の力』
2006年1月  教養研究センター主催『平家物語群読会 壇ノ浦合戦』参加
2007年2月  教養研究センター主催『福沢諭吉の手紙を読む 朗読会』参加

これらの実績を踏まえた2007年度の授業テーマは「日本語を響かせる」ということである。具体的には能の「謡い」を国語の授業に取り入れている。授業では、日本語の発音の特徴を理解した上で自分の声で日本語の響きを追求する。「謡い」はこうした活動に最適な教材である。この授業を行うために、今回は能楽師の支援を得た。
国語教育の中で音声表現はあまり重要視されてこなかった。読解重視の国語教育の問題点は幾度も指摘され、最近の指導要領では古典の朗読に重点を置くように変わった。謡いは日本語を完全な形で響かせる発声法と言える。それは古くから受け継がれ、洗練されてきた日本語の表現としては随一のものであり、一般への教授法も十分に確立されている。勿論能から学べることは音声面だけに限らない。メールで育つ今の子どもたちのことばをやせ細らせないために必要な授業である。

2007年度は10月に2年生の東北研修旅行において、宮城県登米市の野外能舞台で3クラス、130名の生徒たちが能『敦盛』を謡った。5月、9月の2回、観世流能楽師清水義也氏に教室に来ていただき、謡の指導をしていただいた。登米での能舞台体験は生徒たちにとって非常に新鮮なものだったようだ。こんなに気持ちよく声を出し、また自分たちの声が響くのを聞いたのは初めてだというのが生徒の感想である。
次年度についても清水氏に指導をお願いする予定である。できれば仕舞も経験させたい。発表形態だが能楽師の方の力もお借りして、能の舞台という形で発表したいと考える。舞台をどこで行うかについては、志木高等学校内に能舞台を組むことも含め検討中である。
同時に2007年度の成果を、他の一貫校、および大学と共有しながら、一貫教育としての「声」の授業のあり方を模索していく予定である。

2)声と身体と歴史文化の接点を探る教育の実験―大学教養教育における歴史と文学

2007年度の採択事業の一環である、夏季集中実験授業(「新しい文学教育」)の成果を受けて、引き続き行うものである。今回は「地域文化論」の履修者(法学部設置「地域文化論Ⅲ」、全学部で単位認定。担当者は法学部横山千晶)と「文学」の履修者(全学部共通科目。法学部武藤浩史担当)を対象として、夏休みに歴史ユートピア小説(ウィリアム・モリス作『ジョン・ボールの夢』[1888])を使った「声」の集中授業を実施し、さまざまな「声」の授業と「場」、および「歴史」とをつなぎ合わせる授業内容を目指す。具体的には、バラッドなどの音楽や唄・謡などの身体表現を、言語表現と平行して体験、創作を行う以外に、トポグラフィカルな意味での地域文化と歴史小説を交えるワークショップを実施して、日吉キャンパス全体を地図上の「場」に見立て、自然や建物と、文学や歴史とのかかわりを実感させる。それらを通して「声」の持つ意義とその可能性と危険性をも視座に入れた授業を展開する。具体的には日吉の森や建物を使いながら、場の形勢と共同体、そして文学と歴史の関係を考えるワークショップを行う。

これはいわば「声」と「空間(場所と時間)」の実験授業である。期間は前期の授業が終了した8月の第1週にワークショップ形式で開催する予定である。講師は慶應義塾大学の教員以外に外からの講師を招いて行う予定。具体的なプログラム内容は以下を考えている。

2)-1 さまざまな「うた(歌、唄、謡、詩)」の表現

中世の農民一揆に想を得た『ジョン・ボールの夢』には、ストーリー・テリングや謡、バラッド、演説、吟遊詩による戦の状況報告など、今の私たちがすでに忘れてしまったもの含め、さまざまな表現法が随所にちりばめられる。またバラッドによる呼びかけやメタファーを駆使した韻文による状況説明などを学生自身が作詞・作詩して、唄う・詠う身体ワークショップを行えば表現の教育のみならず、歴史を実感する文学教育ができるだろう。ありがたいことに慶應義塾大学の日吉キャンパスは自然に恵まれている。この地形を生かしながら、戸外でバラッドを使って遠方の人々に合図を送ったり、共に唄うことができるだろうし、中世のカリスマ演説者であるジョン・ボールに成り代わって大勢の前で戸外演説を行うこともできるだろう。しらけ文化に慣れきった若者たちが心から感動する観客となることで、モリスが夢見た仲間との連帯(フェローシップ)の片鱗や、発せられることによって思っても見ないエモーションを生み出すことばの力、そして同時にことばに容易に動かされる人間の脆弱さをも感じることだろう。

2)-2 場所の経験

本小説の中のモリスの戦の描写は、百年戦争に基づいたもので、モリスの歴史研究の成果が如実に現れている部分である。黒澤明監督の『七人の侍』さながらの戦略会議や布陣の張り方の描写は、「地形」そのものの研究ともつながる。日吉キャンパスに残る「日吉の森」を活動場所としながら、私たちがそこで生活している土地の歴史とユニークな地形についても同時に学習できるだろう。この点に関しては、地学の教員の協力を得ることが肝心となる。また、シミュレーション・ゲームや、ロール・プレイなどに普段から慣れ親しんでいる学生だからこそ、この地形を研究した上での戦略会議を実際に開かせてみても面白い。

2)-3 歌と歴史、そして政治

ウィリアム・モリスが信じた仲間との連帯(フェローシップ)は、飲食をともにし、ともに歌い、行動することで確認されていくものである。グループ認識の手段としてのさまざまな表現法が、人々を組織し、政治運動やときとしてカルト的な思想形成へとつながることは歴史を振り返っても明らかである。ここで「声」の歴史的な意義と危険性をともに考えることも非常に重要な側面となる。表現形態の基礎として、「声」が持つ力と可能性は甚大なものだが、同時に危険性をはらむものであることを学生とともに考えることも忘れてはならない。

3)声と身体と歴史文化の接点を探る教育実践―大学教養教育における音楽実践

声と楽器に実践を取り入れた授業カリキュラムの実践を行う。2007年度の授業実践は、声を通じて、学生に共同実践の体験を行わせ、歴史・文化・言語の総合的な学習の機会とすることを目標とした。具体的には合唱クラスとオーケストラ・クラスの2クラスにおいて、それぞれ歴史的音楽作品の演奏実践を行い、そのための声や身体の学びを進め、2008年1月に2クラス合同の公開演奏会を学内・地域に開かれたかたちでその成果を披露することを目標として現在事業を展開中である。2008年度は2007年度の事業を引き継ぐ形でさらにその成果を活かしていくと同時に、2)の「声と身体と歴史文化の接点を探る教育の実験―大学教養教育における歴史と文学」と、連携することも考えている。 本事業は、日吉キャンパスで展開される総合教育科目「音楽」(商学部・経済学部開設 商学部 佐藤望担当)の枠内で行う。2008年度に関してもその成果は2009年の1月に公演の形で披露する。

なお、上に挙げた1)から3)までの各事業を統合して、報告を行うことで、新たな教育モデルを考えることを最終活動とする。

活動における効果

2007年度に「声」のプロジェクトが未来先導基金の採択事業に選ばれたことにより、現在すでに本プログラムはさまざまな成果を上げることができている。ひとつは2007年8月6日(月)から11日(土)の6日間に実施された「新しい文学教育」の実験授業での成果である。ここでは大教室で行われる講義内容を、体感によりさらに深いものとすることを目標としたものであるが(添付資料参照のこと)、参加者は「文学」(法学部教授、武藤浩史担当)の授業履修者を中心に、大学教員、通信教育履修生にまでおよんだ(計20名)。
プログラムでは、ダンス、講談、ドラマチック・リーディングなどの身体表現、および声による表現を取り入れつつ、大教室の授業の中で教示された文学の歴史的意義や解釈のポイントを再びからだを通して会得し、最終的に再び言語を使った創作を行うという連関を通して、非常に濃密な実験授業が展開された。現在参加者の創作した成果論文集を作成中であるが、そのほかこのクラスの成果と意義は、将来へのカリキュラム・モデルとして、論文として公表するほか、さまざまな学会で発表していく予定である。

同様に、2007年度の「『声』を考える」プロジェクトの成果は、この12月および1月にそれぞれドラマ公演、音楽の公演として一般に公開の形で披露される。現在すべての事業が活発に行われている。
2008年度の「『声』を考える」プロジェクトでは、これらの成果を中心にさらにさまざまな「声」のプロジェクトを有機的につなげ、統合して慶應義塾としてのモデルを提供することが期待される。身体を通しての教育の意義は、実は慶應義塾の中でも個人個人の教員が実際にさまざまな形ですでに実行しているものであるが、それらの事業を掘り起こし、担当者一人ひとりが自らの事業の意義を座学との関係から見直すことで連携しつつ、統合的な教育モデルの構築を考えていくことが、このプロジェクトの最終目標となる。
成果は論文、著作、および学会などで発表(2007年度の成果については、2008年1月25日に開催される玉川大学コア・FYE教育センター主催『1年次教育シンポジウム』にて招待発表することが決定済み)する以外に、独立した報告書として出版する予定である。ここでの成果は慶應義塾の一貫教育のみならず、教育の基盤として慶應内外に対しても汎用性のあるモデルを提示することになるであろう。
なお、教養研究センターでの身体知を中心とした試みは、塾ホームページやニューズレター、および広報誌『塾』などで紹介されることにより、慶應義塾の教育活動の先進性を社会的にアピールする役割も果たしていることも付言しておきたい。

参加者の声

公募プログラム

志木高等学校2 年・男性(「能」と「声」の授業におけるアンケート)

入場する前まで不安と緊張を隠しきれない23 人だったが、「一発やってやるか」と勢いに乗り、そのまま乗り切ったという様子だっただろうか。謡い終わっても興奮から覚めやらず、皆からも笑顔が出ていた。結論を言えば大成功だったと思う。
直前になって謡いの内容が思い出せない、そんなこともあったが、あれだけ練習しただけあってか「長刀やがてー」と大声で謡いだせば口が覚えていたのか自然とすらすらと、ほぼ無意識にセリフが出てきた。


志木高等学校2 年・男性(「能」と「声」の授業におけるアンケート)

私は少しの心の揺らぎを静め、心の高ぶりを静めた。 「よろしくお願いします」。私は一歩踏み出した。目の前に大勢の人、人、人。私の心は、高ぶり緊張しているはずなのに、何か心が躍った。 そんな心の揺らぎも正座をしたらすべて静かになった。水面。
水面に投げ込んだ小石で出来た波紋がはかなく消えていくように。「なぎなたやがてーとりなおーし…」始まった。 と、次の瞬間「肝をぞ消したりーけるううう」。終わっていた。


大学生(「声と身体と歴史文化の接点を探る教育の実験―大学教養教育における歴史と文学」におけるアンケート)

実験授業のプログラムの中で、多くの体験を得ることができたと思いますが、“連帯”というもの、人と人とのつながりの中で一つのものを目指して創造していくというプロセスを強く感じることができました。普段は芸術的な創作を、質の高低など考えてしまっていますが、こうした場の中を通過すると、「質」ではなく、発表を皆にぶつけることができる瞬間に持っていける強さなのだという風に強く感じました。もう一度、「ものをつくる」ということの根源を見つめ直さなければならないという思いが強くなりましたし、今後の芸術を見る目を変えていく必要を感じます。身体は生活の根源にあるものであり、芸術を考える上でも、一人の人間の根底にあるものとして、同時に根底にあるものだと思います。今回、その思いをさらに新たにすると同時に、人にとって身体とは何かということを、また新たに考えなければならないと感じています。感じることと学ぶことと生きることのあいだにあるものを探ることは難しいことですが、それでもこうして磨耗した感性を磨きなおせれば、一生のテーマになるのかな、と思っています。


法学部法律学科 K.K.(「声と身体と歴史文化の接点を探る教育実践―大学教養教育における音楽実践」におけるアンケート)

まず、一番大きな点として、この「音楽」の授業では一年間を通してバロック音楽に触れ、しかもそれをオーケストラと共に演奏することができた。これは、普通はなかなかできないことで、とても貴重な経験である。私自身、現在も音楽系のサークルに属しているが、扱っている曲のジャンルもまるで違うこともあり、バロックを演奏することはまずない。なので、今後もあるか分からない、本当に貴重な経験をすることができ、今後の活動にも大きな影響があることだろう。
他にも「天才」として名高い武満の音楽に触れたり、あるいは音の音符の表記、4/4がCと表記される理由、また、様々な音楽用語を学ぶことができ、実に有意義であった。
そしてもちろん、単純に「歌う」ことの楽しさを再確認できたことも良かった。しかもこのような大人数での混声を、ましてや大学の授業内で行うことができ、本当に良かったと思う。
ただ一つ、もう少し必要に感じたのは、発声面の指導である。良い発声を身につければ歌うのも楽になるし、なにより全体の質も上がり、それによって歌うことが一層楽しくなる。なので、生意気で恐縮だが、発声面の強化もした方が良いと感じた。
最後になりましたが、一年間の貴重な経験をありがとうございました。

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